なにこれ

なぜ愚痴を公開しようと思ったのか

大学生活1年目、友達がいない

せっかくの機会なので、最初の記事に続けて書く。 友達がいないとは書いたが、多少タイトル詐欺っぽいところもあるかもしれない。しかしこちらの方が僕の自己承認欲求を満たすのにはちょうどいいだろう。

現状の僕

理系学士1年、一緒に講義を受けたり、ご飯を食べたり、わからない宿題を聞いたり、遊びに行ったりする友達はいない。

サークルに話せる人はいるが、たいていは自分以外の人とご飯食べたり講義受けたり宿題をやったりしている(気がする)。まず何より彼らはほとんど別の学部の人であるから、会う機会が少ない。

講義は後ろの方の端か、前の方の端のどちらかに一人で座って受けている。 グループワークは話が合わないため微妙な雰囲気になることが多いと気づいたので、最近はうまく相手に喋らせ続けるためにいい感じの質問をできるように頑張っている。

言葉を発すること自体まれで、ほとんどの日は食堂やら売店、コンビニのレジの人に「パスモでお願いします。」とつぶやくだけ。

おいおいおいおいおいおいWi-Fiが切れたが

何を書こうとしていたのか忘れてしまった。

本当に困った話である

なりゆき

2017年、受験生だった僕は、とある大学の理系学部を志望して日々勉強していた。つもりである。実際のところは、他の人の6~7割ほどの時間しか勉強していなかったらしいのだが。勉強は好きではなかったので集中できず、1問解くごとにスマートフォンを眺めていた。しかし中途半端に才能があったのだろうか、同学年の多くの人より成績は良かったのである。そうして私は自分が才能に満ち溢れた人間だと勘違いし、そう見えるように振舞うようになった。もともと友人が多い方ではなかったのだが、多くの人は自分にあまり近づかなくなり、自分に近い存在に思える(これは勘違いなのだが)「才能に満ち溢れた人間」たちとよく話すようになった。(彼らは友達も多く、今も大学生活をそれなりにはエンジョイしているらしい様子がTwitterを見るとうかがえる)

そして年末に入ってからは卒業式までほとんど高校に行く必要がなくなり(ほかの高校もそうなのだろうか?)、家に籠って二次試験やセンター試験の対策、あとゲームをするようになった。 センター試験前は自称ニートの人と、社会人の人、大学3年生の人と過疎化の進んだMMORPGで遊んだ。Discordでボイスチャットをしながら遊んだのだが、親に茶化されるのが嫌(というのは建前)で聞き専だった。一度だけ、喋ろうとしたことがあるが、声がのどから先に出ていかなかった。たぶんコミュ障というやつだったのだろう。

センター試験では地理が一番高い点数で、次に理科、英語と続き理系ならできて当然のはずの数学は国語よりマシとは言えひどい点数だった。 このあたりで、心の端に「自分は本当に理系に行くべきなのだろうか?」という気持ちが現れるようになったと思われる。

それなりに有名な私立滑り止め大学を特に苦労もせず合格し(幸運だった)、第一志望の大学には、第二志望の学科に合格した。

自分の高校生活があまり良いものではなかったという自覚はあったので、大学では「まとも」な生活をしようと当時は思っていたらしい。本名と高校、大学名を書いたTwitterアカウントを作り、#春からねこねこ大 なんてハッシュタグをつけて投稿したり、そのタグから同じ大学に入る人を片っ端からフォローして回った。また、塾講師のアルバイトも始めた。そしてサークルはいわゆるところの「文化人的サークル」と、「理系っぽいサークル」に入部した。

と、ここまで長い文章を読んでくれた忍耐力のある人々はきっと頭もよいだろうから気づいているに違いない。大学デビューに失敗するのである。 入学式の後、同じ学科で小グループが作られ、学内見学をすることになっている。その時はできるだけいろんな人と話そうとしていたし、話せたと思っていた。(今思い出すと、そうでもなかった)

「文化人的サークル」(以後、文サとする)の先輩方は優しく、とても親切にしてくれた。のだが、その親切さに対してうまく対応できなかったのだ。うまく先輩の心をつかむような対応(今でもわからないが)ができればよいところを、僕は「いやいや、大丈夫です」と遠慮することしかできなかった。

「理系っぽいサークル」(以後、理サとする)は、(彼らは多くの友人を持っているという点を除いて)自分に近い興味や趣味を持っている人が多かったのと、Twitterでの会話が主となりがちなサークルだったのとが重なり、非常に心地よく感じた。

しばらく理サの活動に通っている間に、文サの方では僕は幽霊部員となり果てていた。同学年に知っている人が一人もいない。そのようにして、まず文サでの脱落があった。

同学科(とそれ以外)を作るのにはどうしていいのかわからなかった。必死に授業を受け、予習復習レポートに追われていたら、いつの間にか孤立していた。

それに気づいたのは、6月ごろから学科専門の授業で始まった、グループワークである。グループは、学内見学のものと同じだった。どういうわけか、自分以外の人はお互いに仲が良く、冗談を言い合ったりしているのだ。一方僕には、敬語。このあたりで「うわぁ」となり、授業が終わってすぐに帰ろうとすると出口に差し掛かったあたりで、自分のグループの方から「あいつ、何なの?」と聞こえたのだ。気のせいだったかもしれないが、自分の心にこれは深く刻まれた。

そしてその授業を切り(必修ではなかったので、切っても問題なかったのが幸いである)、人間関係の構築をほぼ完全にあきらめた。予習復習レポートを頑張った勉強の方だが、数学が落単スレスレだった。問題集も買って何周かし、教科書も手垢で薄汚れるまで読んだが、2, 3時間勉強した物理や化学、まったく勉強していない英語に遠く及ばないのだ。自分には数学は向いてないのだなあと思った(苦手ではあるが、面白いとは思う。何らかの形で心や身体が落ち着いたら、ゆっくり一人で学んでみたいと感じている)

そして最後に、塾講師のアルバイトである。 これは、表面上は長続きした。夏休みまでは講義をほとんどとっていたから、シフトをほんの少ししか入れていなかった。そのせいか、ほとんど仕事がなく、ほぼ毎週のように「明日の担当授業はありません」とメールが来て、何もしないまま研修期間が終了した。

その間に、僕はすでに自分への自信をほとんど失っていた。Twitterで、成績の良い人、成績は良くないが数学xor生物学xor物理学が非常に得意な人、プログラミングが得意で作品を作っている人、面白いことができる人などを目にし、そのたびに自分と比較して落ち込んでいたからだ。

研修修了講習では「ここにいるみなさんのほとんどが大学1年生ですから、あと3年したら就活をすることになると思います。そういう時にこういったディスカッションの経験が活きるんですよ」という発言を聞いて、「普通は、そんなものか」なんて思って自分との感覚の違いを感じた(自分の学部では、ほとんどの学生が大学院に進むため)。夏休みからは少しずつ授業を持つようになったが、自尊心を失いかつ暑さにやられた私はまともに仕事ができなかった。業務連絡をするたびに怯え苦しみ、生徒の親から電話が来たときは受話器を投げないか自分でも不安になった。また、給与がないのにやらされる仕事が多すぎたのだ。

耐えられなくなった私は、バイトを辞めたいと塾長に伝えた。しかし突然のことだったからか、それは受け入れられなかった(仕方のないことではある)。それに絶望した私はバイトを「ブッチ」するようになった。当然飛んでくる教室からの電話も着信拒否、メールもLINEも全部拒否。そういった私の態度に対処しきれなくなった塾長は私をクビにした。そうしてめでたくバイトを辞めた私は、理サにしか自分の居場所はないと感じるようになった。

といった感じだ。長い割に内容がないかもしれないが、許してほしい。

自分はどうすればよかったのか?

本当につらい。ただただつらい。もっとつらい人がいるかもしれないということもまたつらい。

単位数を稼ぎたくても、グループワークがある授業が怖くてたまらないので、今より増やすことはできない。

バイトは、理サみたいなノリのところじゃないと恐ろしくて面接も受けられない。

卒論のための研究もできる気がしない。

唯一の自分の居場所と呼べる理サを存続させるために、なんだか大変そうな役職についてしまった。なんでみんなやってくれなかったんだろう(別に、やってくれなかった人を非難しているわけではない。単純な疑問である。やる気があるっぽい人は結構いたと思うんだけどなあ)。自分にできるのだろうか?

どうしたら、よかったのか? これからどうすれば、いいのか? わからない

深夜なので疲れからか、出来の悪いポエムみたいになってきている。 このまえ申し込んだ、比較的やりやすそうなバイトの面接が近いうちにある。 居心地のよいところだったら、いいな

ホットミルクを飲んで寝ます。 ホットミルクは安眠に効果が無いみたいな話はよく聞くけど、あったかい汁は好きなんです

おやすみなさい